Take it easy

サッカーブログです。

2015シーズンとは何だったのだろうか?

・2015シーズン前期
辛い時間でした。

京都サンガというクラブに何か良くないことが起きつつあるといううわさ話は聞こえていました。
そしてそれは2014年にゆがみを見せ始め、2015年には目に見える亀裂となっていたのです。

シーズンが始まる前に展望と題して予想を書いていました
編成が確定すると、登録されている選手の名前をフォーメーションに並べ、試合中の大まかな動きをイメージする作業を行います。
そしていびつな選手編成に相当な不安を感じ、プレーオフに入り込めれば御の字だろうと。その程度のチームだなと。
順位予想を書く時に表現にとても苦労した事を覚えています。

クラブのごたごたに巻き込まれるタイミングで、監督になってしまった和田さんに対して同情する気持ちもあります。
けれども、その手腕には疑問符を付けざるを得ませんでした。
既にクラブを去っている人に色々と言うのも良くないので一つだけ。
勝点が取れなかった要因として、連敗が有る度にチーム戦術をころころと変えてしまった事が挙げられます。
戦術が変わると共にスタメンも変わり、選手の連携は一向に上がってこない。新加入の選手が多いチームでそれは悪手でしょう。

「何の意図も感じないゲームをしてしまった」
ホーム徳島戦で思わず口をついたのですが、この試合の後に和田監督は解任されます。
そのような試合をしてしまった以上は致し方なしですね。

監督の意図が選手から読み取れない、選手がどうやって試合に臨めばよいか迷っている。
自分はこのようなチームを「壊れている」と表現するのですが、
2015年前半の京都サンガは間違いなく「壊れていた」チームでした。


・2015シーズン後期
コーチに監督経験のある石丸さんが居たことは不幸中の幸いでした。
和田監督の後を受けて、監督に就任するとすぐさまチームの補修を進めていきます。

まずは一番の問題であった失点数を減らす事から。
献身的に走り守備をする。チームのために働ける選手を使う。
これから自分がどういう選手を選ぶのか基準をはっきりと示し、
選手達が監督の期待に応えてみせたホームのセレッソ戦は見事な勝利でした。

ある程度守備の立て直しに成功したことを受け、監督は攻撃面にも手をつけていきます。
結論から言うと、あまり上手く行きませんでした。

石丸監督はシステムを変更したり人を入れ替えたりといった事を試してはいたものの、
いびつな選手編成がシーズンの最後までネックとなっていました。
持ち味が似ている選手が多く、硬直した試合に変化を起こせず、
最後の一押しを決められないという試合が続いた結果が9連続ドローという新記録でした。

選手編成のエラーに対してこれほど恨めしく思った年はこれまで無かったと思います。

どんな組み合わせても完成しないパズル。
どの道も必ず行き止まりになっている迷路。
監督が変わってチームは立て直りつつありましたが、このチームの戦闘能力がそれほど高くはならないと気づくのにそう時間はかかりませんでした。

チーム力の向上が見込めない中であってはならないJ3への降格がちらつく終盤戦。
もうなんでも良いからどうにか凌いでくれ、と祈る気持ちで見ていました。
そしてリーグ戦は17位で終了。なんとか着陸できたという所でしょうか。

こうして辛く険しい2015シーズンは終わりました。

後にサポーターズカンファレンスで明らかにされましたが、
サッカークラブという組織として、まったく機能してなかったことが明らかになります。
うすうす感じていた所ですが、改めてはっきり示されると唖然とするしかありません。
サッカーをするどころじゃ無かったというのが2015年の京都サンガだったのでしょう。


2015年の出来事として、触れなくてはいけない事がありますね。
ユース出身の選手達です。



スカラーアスリートプロジェクトの夢
京都サンガは育成年代を強化すべく2006年からスカラーアスリートプロジェクト(以下SAP)を始めました。
これは他チームからの移籍によってではなく、自前で選手を育てることによってチーム強化に繋げるためです。

SAPが始めってから実際に優秀な選手が集まり始めました。
高円宮杯U-18サッカーリーグ、通称プレミアリーグ(1部リーグ)を常に維持し、タイトルを取ることもありました。
その華々しい活躍を目の当たりにしたサポーターは、ユースからトップチームに昇格する選手達に対して大きな期待を掛けることになります。

もちろん自分もその一人でした。

チームの中心選手となる頃には数段レベルのあがったサッカーが見れるだろうと。
リーグの中で存在感を示す京都のサッカーを築けるだろうと。
クラブの未来を託しても良いという可能性を十分に感じられたのです。

SAPの発足後、ユースからトップ昇格する選手が次々と現れます。
チーム編成の約半数をユース出身者で占められ、チームの中心として活躍が期待される年齢になった選手もいました。
2015年はこれまで見ていたSAPの夢が現実にはどうなっているのかを確かめる年でもあったのです。


久保と奥川。海外からのオファーを受ける程の評価を受けた選手を輩出しました。
一方で、プロ入り後に伸び悩みでいると評される選手が続々と出ているという問題もあります。
より深刻なのはユースから大学に進学した後、活躍出来ている選手がほとんど居ない事かもしれません。

ユース出身の選手に共通している特徴として、
ボール扱う技術はとても長けているけれども、試合中の状況の変化についていけない。
硬直した状況を打開するために持っている技術を使えていない。

これは憶測になりますが、彼らはユース時代には抜けだした存在であったために
壁にぶつかった時に超える術を持っていないのでは無いか?と。
それがプロになってから伸び悩みを起こしている原因では無いのでしょうか。


京都サンガは一歩づつ進めていく所を、別の力を使って近道を通ってしまった。
SAPの設立によって確かに良い選手が集まってくるようになった。
けれどもクラブとして若手選手を成長させる器を用意出来ていない。
それはユースでの指導であったり、トップチームの監督、選手・・・
ユース育ちの選手達、駒井、原川、伊藤、宮吉の移籍が次々と発表されました。
その移籍はもっと上手くなりたいというサッカー選手としての純粋な欲求から来ているので、彼らを引き止めるのは難しかったと思います。


京都サンガとは一体なんなのだろうか?
改めてクラブのあり方が問われる年でした。
SAP、と言うよりはクラブが次の段階に進む時がきたのでしょう。
優秀な選手を集めるだけでなく京都サンガを選んで貰える様にすること。
それは京都愛などという曖昧なものでは無く、ここに居ればもっと成長できると選手達に思ってもらえること。
単純で難しい事ですが、それが育成型クラブと言うものではないでしょうか。


それにしても、ユース出身選手が移籍してしまのはやはり寂しい。
年俸があがる、より高いレベルに身をおける、
移籍することによりメリットはいくつも上げることが出来ます。
それは結局、自分を納得させるための材料でしかありません。
もう二度と彼らが同じチームでサッカーをすることは無いだろうと思うと胸が詰まります。
色々と好き勝手に言っていましたが、彼らに京都を強くして欲しかった。
J1に昇格して強い相手と互角にあやりあってる姿を見たかったんだよ。



壊れてしまったクラブを立て直すために奮闘する人達がクラブに集まってきてます。
2015年という年が京都サンガにとって転機となったと後に語られるように。
また1からやり直しです。次は夢を現実に。

夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、
現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべきだろう
イビチャ・オシム