https://www.youtube.com/watch?v=yCgqpX8UPbI
その響きは様々な記憶を私たちに思い起こさせてくれる。それはチームをけん引する姿の誇らしさであり、もしかするとどうしてこうなったと頭を抱えたことの方が多かったりするかもしれない。助っ人外国人選手。それはやはりロマンなのである。
オフシーズンにするサポーターの行動の定番といえば、外国語で書かれた怪しい移籍情報を見つけては、youtubeでプレー動画を漁り、ああでもないこうでもないと言うことだろう。むしろそこで一喜一憂するのが一番楽しいんだとかなんとか。
そこはやはりまだ見ぬ選手に対しての期待と不安が入り混じった複雑な気持ちがもとになっているのでしょう。
という訳で、なんか流行ってるぽいから、いっちょ噛みしてやろうという記事である。
改めて在籍選手の名前を調べて過去を振り返ってみるのも、なかなか楽しい作業であった。え?こんな人いたっけ?・・・と、全く思い出せない選手も中にはいたり、思い出せるけどダークサイドに落ちるだけ(俺が)の人もいるので、在籍者全員について書くことはできなかった。ただ、遠く海を渡って京都サンガでプレーすることを選んでくれた選手たちは皆リスペクトしていきたい。 在籍年はわりと適当です。
◆パクチソン (2000/06~2002)
天皇杯を置き土産に旅立っていったレジェンド。その後の躍進は言うまでもない。PSVからマンチェスターユナイテッドに移籍したのも驚いたが、CLチャンピオンまで上り詰めるなんて。もうこんな選手でてこないだろうなー。とにかくタフに走り回れる印象だったが、どうやら欧州でもこれだけ走れる選手はいなかった模様。こういう選手好きそうだよねファーガソン。守備の穴を作らないと言うことで、強敵相手にこそ積極的に使われるというのも胸熱ポイントだった。
初めてプロとして契約したのが京都ということもあって、いまだに何かと気にかけてくれる。そのうち良い若手を斡旋してくれるとか、なにかこう手心的なものは無いのかと待っていたけど特に何もなかった。でも待ってる。
https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20180718/762412.html
◆レジ(2003/9 ~ 2003/12)
前年の天皇杯優勝ですっかり調子こいていたら、あっという間に残留争いに足を突っ込んでしまった京都。その時にやってきたオランダ人FW。タイプとしては中央に構えるCFで、エースであった黒部と2トップを組むも、完全に役割がかぶってしまい攻撃の蓋にしかならなかったという、京都の選手編成の下手くそさの象徴であった。これから何度も出てきます。当たり前だが大した活躍できず、チームもあえなく降格。オランダに帰っていった。
現在はアヤックスのスタッフ。そして息子はバルセロナの下部組織に所属。この前試合しに日本に来てた。父ちゃんそんなに上手くなかったやん。チェルシーが狙ってるとかなんとかで有望株らしい。世の中わからんもんである。
2003年に半年間、京都サンガに在籍したレジことレジリオ・シモンズの息子がバルセロナU-12の一員で来日中。肉体系FWの父とは異なるタイプのMFだとか。スカパーで放送あり。 #sanga http://t.co/D2VIcgnan0 pic.twitter.com/rczg1r5avP
— 雨堤俊祐 (@suque3) 2015年8月28日
◆アレモン(2005~2006/05)
これは夢だ。夢なんだ!と1年での昇格に失敗した京都は禁断の果実に手を出してしまう。8人で守って外国人2トップにお任せカウンター、通称柱谷メソッド(勝手に命名)が当時J2を勝ち抜くための定石として存在した。そして京都にやってきたのが、後述のパウリーニョとアレモンであった。
アレモンは身長あるがスピード裏抜け系で、相手との駆け引きに長けた、よくわからんけどとにかく点は取るという、どこのリーグにも必ず何人かは居るいかにもブラジル人っぽいFWだった。京都ではパウリーニョとの2トップで猛威を振るい昇格に貢献。その後移籍した横浜FCでも半年で15ゴールを決める活躍をしてこれまた昇格を勝ち取った。
好事魔多し。残念ながらブラジルに帰国後、交通事故で帰らぬ人となってしまった。ブラジル人選手はこの手の話がずっと付きまとうのでマジで辛い。R,I,P
https://labola.jp/blog/user/8388/949455
◆パウリーニョ (2005~2008/6)
アレモンと共にやってきて、(京都としては)長年にわたってエースとして活躍した姿を覚えている人も多いだろう。スピードと力強い左足のキックでゴールを量産。J2では反則級の選手であった。J1でも2桁得点を記録するなど、十分通用していたのだが、監督と起用法で揉めて退団。カトQだからね。しょうがないね。見た目もなんか可愛くて真面目な選手で、サポーターからも愛されていた選手。いつの間にかガンバ大阪に移籍していたのを知った時に、マジで困ってるんだなって思いました。(ちなみに降格してた)
http://kwantaka.blog129.fc2.com/blog-entry-1279.html
◆アンドレ (2006/06~2007)
何度目かわからない降格の危機を脱するために召喚された大巨人・・・では無いけど、体格のいいFWで、いかにも活躍しそうな雰囲気はしてた。降格が決まった試合の直後に、パウリーニョと共に京都をいかにして昇格させるかを話し合ったという熱いエピソードを持った漢であった。期待に違わずシーズン15点(パウリーニョは24点)とる活躍。これだけ点取れたらリーグも楽勝やな・・・と思って記録を見返すと京都は3位で入れ替え戦に回っていた。なんでやねーん。
現在はブラジルで建設会社のCEOをしているらしい。すげえ。
https://web.gekisaka.jp/photonews/photolist?news_id=1266&photo_no=2
◆シジクレイ(1999、2008~2009)
京都というよりも、Jリーグでも有数のブラジル人DF。功労者として表彰とかされてないのだろうか?、ガンバ黄金期を山口智とともにCBとして支えた。その活躍は「残念そこはシジクレイだ」というスラングが作られるくらい、とにかくゴール前で跳ね返しまくった。この人が凄すぎるから、ずっとGKを放置してたんだと思われる。
1999年に居たのはさすがに知らん。2008年京都がJ1に昇格したときに、守備の要として加入。ちょっと衰えてるけど大丈夫・・・?という前評判であったが、そんな不安はどこへやら。ふたを開けてみるとシジクレイの周辺をボールが通過していくことはなかった。さらにボールがさっぱり前に進まないチームの中で一人動き回ってビルドアップも担当。多分シジクレイいなかったらシンプルにチームは崩壊してた。シジクレイ半端なかったって。
https://web.gekisaka.jp/player/?33737-9228-jp
余談ではあるがシジクレイのコメントで好きなのがあるので紹介する。
「勝者になるためには、ポジティブな考えが大切だということがわかった。ネガティブな思考は、何一つ生み出さない。僕は9年掛かってしまったけど、その意味を理解できた。」
by シジクレイ
◆フェルナンジーニョ(2008/6~2008/12)
これまたJリーグファンにはおなじみの「ちいさいおっさん」です。 どういう経緯で京都に来たのかは忘れてしまったが、信用してない相手には絶対パスを出さない(主に大黒)という気難しいところがある選手だった。けれども京都ではそんな姿はみせず、柳沢との相性は抜群で、二人だけでカウンターを成立させてしまうほどの息のあったプレーを見せていた。シーズン終盤にケガをしてしまい、契約が更新されることはなかったが、もしこのまま京都に残っていたら・・・とifのストーリーを想像してみたくなる選手。ちなみに未だに現役。J3鳥取でぶいぶい言わしてるおっさんになっていた。
https://www.kyoto-np.co.jp/sanga/2008_news/080810.html
その2に続く!